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災害時に家族を守る家なんです。

HPでも紹介しておりますが、6年前に新築した私の自宅を公開させていただいております。
ご案内時によく尋ねられるのが、あの3・11の震災時の状況で、被害の有無はもちろん、室内の温熱環境やオール電化住宅についての質問を多く頂戴します。

下記の記事は震災後に、ソーラーサーキットの家のメルマガ用に投稿した「災害時の備えは快適な住まいから」と題した記事を再掲したものですが、これからの家づくりの参考にしていただければ幸いでございます。

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「SCの家で本当に良かった。」
 
今でこそ口にしなくなりましたが、震災後は家族の誰もが口にした言葉だった。

近い将来、必ず発生すると言われてた宮城県沖地震から、家族の命を守り、健康で快適な暮らしを実現する為に建てたSCの家だったが、こんなにも早く、しかもこれほどの大震災に直面するとは、予想だにしなかった。

想像を絶する甚大な被害をもたらした大震災。内陸部の我が家でも、余震も含め震度6強の地震に2度も見舞われたが、幸いにも写真立てやコップが棚から落ちたくらいの被害ですんだ。

しかしながら、電気や水道・ガスなどのライフラインは完全に止まり、復旧まで1週間を要した。

当初、寒さに対し、多少の不安もあったが、そこは何といってもSCの家!

2~3日は問題ないと思いつつも、物置にしまっておいた石油ストーブをスタンバイさせたが、結果的に一度も使用する事はなかった。

3月とはいえ、外はまだまだ寒い日が続いていたが、蓄暖の余熱効果もあり3日間は、室内が20度を下回る事はなかった。

その後も、家族が多いせいもあってか?室内は18度前後をキープし、衣服を調整すれば十分な暖かさで、最終的にリビングの室温が一番低かったのが6日目早朝の15.6℃だった。(その日の朝の最低気温は-1℃)

気になる換気も、窓を開け、空気の入れ替えを何回か行ったが、建物自体の輻射熱によって、室温は変わらず、まったく問題のないレベル。

その間、多くの親戚や知人が訪れたが、クロスの割れひとつない頑丈さと無暖房にもかかわらず十分な暖かさを保つSCの家に、来る人、来る人が驚いていた。

今回の震災では、水や食料・ガソリンの確保に奔走したり、わずかなお湯で体を拭いた毎日、笑うに笑えないトイレでの失敗など、多くの不安やストレスを抱えながらの生活を余儀なくされたが、度重なる余震の恐怖の中、いてつく寒さを感じる事なく、わずかなローソクの灯りのもと、家族が寄り添い、協力しあい、明るく暮らせた事が我が家にとって何よりの幸せだった。

そして、「住み心地のいい家」は災害時において、家族の生活の大きな支えとなり、頼りになるのはもちろん、こうした時に誰もが見失いがちな思いやりや優しさを見失わず、明るく、元気で前向きに生きられるという事。家族の愛や絆を深める意味においても非常に大事だという事を、今改めて痛感している。